確かに、雛は宇随と一戦交えたいと思った。
しかし、それはこの試合ではない。トーナメント戦で一度でも負ければ、それは不合格を意味する。
神威と宇随にだけは、当たりたくなかった。
一緒に新しい世をつくっていくメンバーになりたいと強く思っていた。 二人とも実力と人格ともに申し分ない。これからの世の中に必要な人たちだ。それを雛は誰よりも強く感じていた。
ここで宇随が不合格になることを、雛は望んでいない。
――しかし、ここで負けるわけにはいかない。雛がボードの前で立ち尽くしていると、後ろから宇随が声をかけてきた。
「こうなっちまったもんはしかたない。
雛、手加減なんかするなよ。正々堂々と行こうぜ! どっちが勝っても負けても、恨みっこなしだっ」宇随が笑顔を向けてくる。
その微笑みに、雛は少し心が軽くなるのを感じる。しかし、それと同時に、どうしても宇随との戦いに前向きになれない自分がいることも、雛は自覚していた。
試合開始まで雛はベンチに座って一人考え込んでいた。
宇随はこれまでの者たちとは格が違う。
手加減して勝てる相手ではない。しかし、宇随相手に本気で戦うことができるのか……。
そこへ、神威が近づいてくる。
何も言わず、彼は雛の隣に静かに腰を下ろした。 そのまま神威はしばらく黙り込んでしまう。雛は少々戸惑いつつ、神威の様子を覗うようにそっと横目で見た。
「迷っているのか?」
「え?」突然そう問われ、雛は驚いて神威の方へ顔を向ける。
「高橋宇随のことだ。
おまえたち仲が良いだろ? だから悩んでいるのかと思ってな」私の方は見ず、まっすぐ前を見つめ淡々と話す神威。
心配してくれているのだろうか。
雛はなんだか嬉しくて、神威に心の内を話してみたくなった。彼なら受け止めてくれる、そんな信頼があった。
「不安なんです。宇随さんのこと好きだから、本気で戦えるか自信がなくて」
「……好き?」神威がそこだけ強調して念を押す。
雛はいたって普通のことだというように答えた。「はい、私は宇随さんのこと好きです。あ、もちろん神威さんも好きですよ」
雛があっけらかんと微笑むと、神威はなぜかあきれた顔をする。
「はぁ……あのな、反対の立場になって考えてみろ。
おまえが宇随に手加減されて、それで勝ったとしたら嬉しいか?」 「嫌です!」雛の即答に、神威が小さく微笑んだ。
「それなら、もう答えは出てるだろ」
「そうなんですけど……」まだすっきりしない様子の雛に、神威はため息をついた。
「前の試合で学んだんじゃないのか、勝負に情けは必要ない」
真剣な表情でそう告げる神威。
その視線を受け止め、雛はまた考え込む。確かに、手加減することは相手に失礼なことだ。
それに、自分だって絶対負けられない理由がある。「ま、最後はおまえが決めることだがな」
そうつぶやくと、神威は立ち上がった。
もう行ってしまうのかと雛は寂しく感じ、視線を向ける。
神威の背中はとても大きく感じた。「俺は、おまえとこの先も共に戦っていきたいと思う。それが叶うことを祈ってるよ」
そう言い残し、神威は雛に背を向けたまま行ってしまった。
残された雛は下を向き、小さく震えていた。
「嬉しい……」
神威にあんな風に言ってもらえたことが、雛はこの上なく嬉しかった。
雛にとって神威は尊敬でき信頼できる剣士だ。そんな相手が自分を必要としてくれた。
共に生きようと誘ってくれた。なんと幸せなことか。
雛は顔を上げる。
その目つきは、先ほどのものとは違っていた。確かに、雛は宇随と一戦交えたいと思った。 しかし、それはこの試合ではない。 トーナメント戦で一度でも負ければ、それは不合格を意味する。 神威と宇随にだけは、当たりたくなかった。 一緒に新しい世をつくっていくメンバーになりたいと強く思っていた。 二人とも実力と人格ともに申し分ない。 これからの世の中に必要な人たちだ。それを雛は誰よりも強く感じていた。 ここで宇随が不合格になることを、雛は望んでいない。 ――しかし、ここで負けるわけにはいかない。 雛がボードの前で立ち尽くしていると、後ろから宇随が声をかけてきた。「こうなっちまったもんはしかたない。 雛、手加減なんかするなよ。正々堂々と行こうぜ! どっちが勝っても負けても、恨みっこなしだっ」 宇随が笑顔を向けてくる。 その微笑みに、雛は少し心が軽くなるのを感じる。 しかし、それと同時に、どうしても宇随との戦いに前向きになれない自分がいることも、雛は自覚していた。 試合開始まで雛はベンチに座って一人考え込んでいた。 宇随はこれまでの者たちとは格が違う。 手加減して勝てる相手ではない。 しかし、宇随相手に本気で戦うことができるのか……。 そこへ、神威が近づいてくる。 何も言わず、彼は雛の隣に静かに腰を下ろした。 そのまま神威はしばらく黙り込んでしまう。 雛は少々戸惑いつつ、神威の様子を覗うようにそっと横目で見た。「迷っているのか?」 「え?」 突然そう問われ、雛は驚いて神威の方へ顔を向ける。「高橋宇随のことだ。 おまえたち仲が良いだろ? だから悩んでいるのかと思ってな」 私の方は見ず、まっすぐ前を見つめ淡々と話す神威。 心配してくれているのだろうか。 雛はなんだか嬉しくて、神威に心の内を話してみたくなった。 彼なら
試合が終わると、雛はたくさんの人々に取り囲まれる。 皆が雛に称賛の声をかけてくる。 そんな人たちを無下にできず、一人一人に対応する雛。そんな姿に見かねた宇随は雛をその群れから解放すべく近づいてきた。 戸惑う雛の腕を取り、宇随は力ずくで人並をかきわけ輪の外へ飛び出した。「ほんっと、しょうがねえなあ。ほら、行けよ」 宇随は雛の気持ちがわかっているのかいないのか、優しく雛の背中を押した。「あ、ありがとう」 お礼を言った雛は、自分の気持ちに従うように急いで須田のもとへと向かった。 雛は須田と話したかった。 どうしても、あのまま何も言わずに終わりたくはない。 試合のあと、一応念のため治療を受けることになった須田は、治療室へ運ばれた。 しかしあれだけの激しい激闘を繰り広げた割に、須田に傷一つ無かったため、すぐに待機所へと移されていた。 治療隊員には驚かれたが、須田にはわかっていた。 傷がついていない理由。「斎藤さんの、おかげですね……」 そう言って小さく微笑んだ須田は、椅子から立ち上がる。 そのとき、待機所の扉が勢いよく開いた。「須田さん!」 慌てた様子の雛が須田の姿を捉えると、ほっと安心したように微笑んだ。「よかった、まだ帰ってなくて。あの……少しお話いいですか?」 雛の誘いに快く応じた須田は、二人で静かに話せる場所へ移動した。「どうしました?」 須田が優しい笑顔を見せ、問いかける。 雛は気まずそうに視線を泳がし、言葉を選びながら発言する。「先ほどの試合……本当にすみませんでした。あの、もうお体は痛くありませんか?」 申し訳なさそうに眉を寄せる雛に、須田は爽やかな笑みを向ける。「ああ、大丈夫ですよ。 普段から鍛えていますので……それに、あなたが手加減してくれましたしね」 須田が雛の顔を覗き込む。
「ごめんなさい」 雛は須田に素早く強烈な一撃をくらわす。「くはっ……」 今までと比べ、格段に速いその剣さばきに、須田は避けることができなかった。 速さと打撃の威力が今までのものとは比べ物にならない。 雛の攻撃をくらった須田は、その場で膝をついた。 勝負はまだついていない。 どちらかが戦闘不能になるか、負けを認めるまで戦いは続く。 観衆は雛の攻撃に驚き、皆が固唾を呑んで事の成り行きを見守っていた。 まさかここまで雛が強いとは皆、夢にも思っていなかった。 そんな中、宇随と神威だけが試合を冷静に見つめている。 すると、しばらく動かなかった須田が震える体で必死に立ち上がろうとしていた。 その様子を見ていた雛が須田に声をかける。「これ以上、あなたを痛めつけたくはない。どうか負けを認めてください」 須田は歯を食いしばりながら顔を上げると、雛を睨んだ。「先ほど、言ったでしょう……。 僕は、負けるわけには、いかないんだっ」 やっと立ち上がった須田は、先ほどの攻撃でかなりのダメージを受けており、ふらついてしまう。 たった一撃くらっただけでこれほどの威力があることに、須田も驚きを隠せない。 実力の差は明らかだった。 大馬鹿者でないかぎり、須田に勝機はないとわかるだろう。 そんなことはわかっていた。 しかし、どうしてもあきらめきれない、あきらめてはいけない。 母や弟たちが待っている。 その想いが、彼に力を与えた。「僕は、あなたを倒す! 僕は、負けない!!」 力を振り絞り、須田は雛に向かっていった。 雛も、その覚悟に応えるかのように目つきが変わった。 それは一瞬の出来事だった。 雛が姿を消し、次に須田が呻いたかと思うと、雛は忽然と須田の目の前に立っていた。 そして、ゆっくりと倒れる須田を雛は優しく支え受け止めた。 審判が須田の様子を確認しに
「がんばれよーっ!」 宇随の大きな声が辺りにこだまする。 周りにいる人たちは宇随を迷惑そうな目つきで眺めている。 先ほどから一人で大声を発している宇随に、皆嫌気がさしているようだった。 その声援の元凶である雛にも、突き刺さる視線が向けられていた。 声援を送ってくれるのは嬉しいのだが、現実問題、雛は居心地が非常に悪い。 雛は宇随を睨みつけてみたが、本人はどこ吹く風というようにまた何か叫んでいる。 あきらめたように雛はため息をつく。 そんなことより、今の雛の目の前にはもっと大事な問題があった。 雛は対戦相手を見つめる。 先ほど、お互いを称え合い握手を交わした人物、須田健一。 彼と戦うことになるなんて、神様は意地悪だ。 少し前まで雛の気持ちは揺らいでいた。 しかし、神威の助言のおかげで、雛は覚悟を決めた。彼と本気で勝負することを決心していた。 自分にはどうしても成し遂げたいことがある。 それをこんなところで簡単にあきらめることはできない。 彼にも譲れないものがある、それはしかたがないこと。 お互いが本気でぶつかることが、今できる最善の方法だ。 須田の視線とぶつかる。 彼の瞳には、雛と同じ決意の色が滲んでいた。 お互い想いは同じ。 雛は深く深呼吸すると、まっすぐに須田を見据えた。「試合、はじめ!」 審判の声と共に、観衆たちの声援が聞こえてくる。 その中には宇随の大きな声も混ざっていた。 雛と須田は見つめ合ったまま動かない。 どうしたものかと考え、こちらから仕掛けてみることにする。 須田の方へ走りながら、雛は刀に触れた。 すると、須田も刀を握った。 二人の刃がぶつかった。 雛は刀ごしに、須田と近くで見つめ合う。 須田の目に迷いはなさそうだ。これならこちらも迷いなく戦うことができる。 雛が攻撃
雛は次の試合に向け、気持ちを落ち着けるために休憩所へ向かった。 大きなテントの下には、机とベンチが並べられ、机の上には給水機が設置されている。 用意されているコップに水を汲み、雛はそれを一気に飲み干した。 そのとき、雛の隣に一人の青年が現れた。 彼も給水機から水を汲み、勢いよく水を飲み干した。 雛が見つめていると、青年の瞳もこちらを向き、目が合った。「どうも……」 雛が挨拶すると、彼も柔らかい笑顔で挨拶を返してくれる。「どうも……。あの、もしかして次の試合の方ですか?」 「はい、そうです。……あなたも?」 「はい。お互い頑張りましょうね」 その青年はとても穏やかで優しそうな、いかにも好青年という雰囲気を醸し出している。 まだ試合まで時間があるので、二人は近くのベンチに座り時間をつぶすことにした。「あの、一つお尋ねしてもいいですか。なんで参加しようと思ったんですか?」 他の参加者があまりにもお金目的などが多かったため、雛は単純に興味が湧き聞いてみた。「お恥ずかしいのですが、お金のためです。僕の母が病気で、その治療費を稼ぐために。 父はもう他界していて、弟たちはまだ小さいですし、僕が何とかするしかないんです」 お金のためと言っても、この理由に、雛は何の嫌な感情も湧いてこなかった。 それどころか、彼を応援したくなってしまった。「そうなんですね……。あなたのような方が、報われる世の中にならなければいけない。私はそんな世をつくりたいと思って、ここへ来ました。 お互いベストを尽くして頑張りましょう」 雛が握手を求めると、彼も快くその手を取った。「ところで、あなたのお名前は?」 雛が笑顔で尋ねると、彼も笑顔で答える。「須田(すだ)健一(けんいち)です」 その名前を聞いた途端、雛は固まった。 雛が青ざめていくのを不思議そうに須田は見つめる。「どうしたんですか? ――まさ
宇随と男の戦闘は激しさを増していた。「どうした? おまえの実力はこんなものか?」 男は両刀からものすごい回数の攻撃を繰り出しながら笑っている。 宇随はその攻撃をすべて弾き返し、軽やかにかわしていった。「……ふーん、おまえ、こんなもんか」 宇随がそうつぶやくと、それまで自分の方が優勢だと思っていた男の顔つきが変わった。「おまえ、まさか今まで本気ではなかったのかっ」 男が驚いた表情を見せると、宇随がニヤッと笑う。 宇随の会心の一撃が男に繰り出された。 それまで猛攻していた男の動きが急に停止する。「ぐふっ!……無念っ……くはっ」 男は苦痛な表情を浮かべながら、その場に崩れ落ちた。「ふーっ、いい運動になったぜ。ありがとよ」 宇随は倒れている男に声をかけるが、男の返事はなかった。 審判が男に近付いていき、状態を確認する。「勝者、高橋宇随!」 審判がそう告げると、今まで静まり返っていた観衆が急に沸いた。 歓声とざわめきが飛び交っていく。 宇随は歓声に応えるように、手を挙げている。そのまま雛と神威の方へと歩み寄ってくる。「よ! どうだった? 俺の戦いぶりは?」 どや顔で胸を張る宇随に、雛は素直な感想を告げた。「すごかったです! 宇随さんお強いんですね。 ぜひお手合わせいただきたいと思いました」 雛の言葉に、宇随はズッコケそうになった。「おまえ……ほんとタフな奴だな。 神威や俺の戦いを見て、勝負したいって言う奴はおまえぐらいだぜ。 なあ、神威さん」 宇随に名を呼ばれ、雛の隣に佇んでいた神威は不快感を顕わにする。「気安く名前を呼ぶな。……まあ、俺もこいつには興味がある。 そういえば名を聞いていなかったな」 神威が雛に名前を尋ねると、雛は二人に向かって笑顔で答えた。「斎藤雛と申します。よろしくお願いします」